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太鼓が転機に
小学校2年生頃
東海典礼―
設立は平成4年3月5日という若い会社だが、アイディアが受けて、すばらしい成長を遂げつつある。
専門化された関連会社”東海典礼グループ”も傘下に。このアイディアの一つが”会館をもたない”ということと寺院との”結びつきを大切に”が自論。
生活様式の変化、核家族化、意識の変革などの時代を反映、冠婚葬祭は巨大産業となった。とくに近年目立ったのは立派な葬祭会館。ほとんど新築。当然コストにハネっ返る。しかも今や競争過多。あれこれ考える悩みはつきない。
同社はその分、顧客に還元できるという。寺院が境内にホールを持つ時代。父親創業以来の信用が、今日、名古屋市内のご寺院との強力なネットワークを構築。
二代目廣次専務。名古屋商工会議所若鯱会、名古屋青年会議所、名古屋昭和ライオンズクラブ、名古屋西南ロータリークラブなどに名を連ねる。三十六才という若さでアイディアマンといわれる経営三十腕を発揮。
息子に安心して任せる父親ーそして若い社員達ー。
昭和41年3月
昭和42年 母、姉と

祖父、祖母と
覚王山の祖父母の家で2歳頃
 植木家に長男廣次専務が生まれたのは昭和41年3月5日。父保博社長母敏子さん。昭和区川名本町の加藤葬儀社で共同経営を始めて間もないころ。父保博社長、霊柩車に乗ったとき運転手に
「君この仕事、家族は知ってるかい」びっくりした運転手は
「とんでもない。内緒ですよ」
「そんなことではダメだ。この仕事に誇りを持ちなさい」
と諭した。そんな誇りのある父親である。 父親は、ものごころ付いた廣次専務を、仕事に連れて行くことも。真っ直ぐに育った廣次専務。小学校のころ、父親が持ち帰る葬儀の高貴な花を、よく学校へ持っていった。
「先生が大変喜んでくれた。それがうれしくて。」


母とみんなで東山動物園へ幼稚園の遠足

3歳の頃 自宅の庭で




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5歳の頃 父と川遊びのようす