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花は本当に美しいものですが、花を手向ける人の心は、花よりも美しいと思います。
病院の霊安室でのことです。渾身の治療の甲斐もなく、物言わぬ人となった患者さんに、主治医の先生、看護婦さん、事務長さんが深々と合掌をしていかれました。ご遺族はお疲れからか別室へ下がられ、しばらく私とご遺体だけの場となってしまいました。静かというよりは、ひっそりとした沈黙のひと時でした。
私はご遺族をおうちまでお送りする役目でやって来た葬儀社の人間で、しかもまだ二十代半ば。この仕事に就いて日も浅い頃だったのです。
ここに横たわる人の人生の来し方に思いを巡らせることもなく、ご家族には型通りのお悔やみを述べただけで、早くこの仕事を終えて外に出たい。そんなことばかりを考えていました。

時計の分針が動くごとに重くなるその状況にじっと耐えていた時、一人の看護師さんが静かにドアを開けて入って来ました。
三十代半ばのすらりとした人で、私には少し疲れているように見えました。その方は私に会釈をされ、ご遺体に近づき、ポケットから何か黄色っぽいものを出して、ご遺体の頬のそばにそっと置きました。そして今までそこに来られた誰よりも深々と、誰よりも長く、合掌をされたのです。
その黄色いものとは、花でした。よく見ると薄いピンクの花も混ざっていました。一握りの小さな花々を看護師さんは手向けていったのです。それは患者さんに対する彼女の看護のこころそのものだったのでしょう。
私は少なからず衝撃を受けました。おそらくこの看護師さんは私などよりもっともっと多くの人の死を見てきたはずだ。なのにこの思いの深さはどうだ。私はといえば、今、遠いところへ旅立とうとしているひとつの魂を、まるで通りすがりの人の様にしか感じていなかった。

あの看護師さんのたった二つ三つの動作の中に、私は多くのことを学ばされたと今でも思っています。
そのひとつが「慣れるな」ということです。人の「死」に慣れてしまい、花を手向ける心を忘れては、私達の仕事は成り立ちません。
医療や看護に携わる方々が、懸命に守る「いのち」を大切に考えてこその仕事だと、あの看護婦さんと同じくらいの年になった私は、今心からそう思っています。