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白衣の天使、奉仕、女らしさ、優しさ、母のように…。看護婦さんをイメージする形容詞として、よく使われる言葉です。

実際私のように、仕事上多少なりとも看護婦さんとかかわる立場のものでさえ、「白衣の天使」という表現をしばしば使うことがありました。

けれども、看護婦さんというのは、天使ではなくプロフェッショナルで、仕事を離れれば一人の、ごく普通の女性なのだと気づいてからは、「天使」がむしろ、失礼な表現だと思うようになりました。

その日は立て続けに二つのご葬儀が予定されていました。

夏ゼミの朝早くからの騒がしさが、厳しい暑さの一日になる証のようで、少々やるせない気持ちで寝床から起き上がりました。

というのも、その日私達がお見送りする故人は、一人はまだ小さなお子さん、もうひとりは40歳になったばかりの、小学生と中学生の息子さんを持つ若いお父さんだったのです。

いずれの喪家も、お通夜の悲しみは深く、葬儀のお手伝いをさせていただく私たちも、それが職業であるがゆえに型通りのお慰めしかできず、この仕事のつらさが改めて身にしみていました。

真夏の葬儀は悲しみと暑さが相乗して、ご遺族を心底疲弊させます。私たちもその日の終わりには、疲れとやるせない気持ちとで、すっかり肩を落としていました。

とにかく気分転換したくて、同僚と通りがかりの居酒屋ののれんをくぐりました。

生ビールのジョッキを一息に半分ほどあけ、人心地ついた時、ひとつ向こうのテーブルの3人連れの女性達に目が止まりました。驚きました。仕事で何度か伺ったことのある病院の看護婦さん達だったのです。

挨拶に行こうと同僚が席を立ちかけ、私は慌ててそれを押しとどめました。

テーブルは盛り上がっています。生ビールのジョッキもいくつか空いており、さらに注文の声が聞こえました。3人とも白衣姿とは別人のように華やかで今風で、普通のOLさんとどこも違いはないように見えました。

時間は深夜1時。おそらく準夜の夜勤を終えての、ささやかな癒しのひと時なのでしょう。どの顔もほっとしたような、実にくつろいだ笑みが浮かんでいました。

そんなところへ出入りの葬儀社の人間が顔を出せば、それぞれに心配な患者さんのことを思い出させてしまうでしょう。日々、いのちに向き合って「人」を看るお仕事は、喜びも大きいけれど、つらさも同じようにあると思うのです。もしかしたらこの小宴は、その癒しの一時かもしれないのですから。

元気のいい、よく通る声が追加のビールを注文しました。

私達はそーっと席を立って店を出ました。

まだまだ世事に疎い若造にしては粋なはからいができたと、私は少しいい気分になって、まだ蒸し暑い夜の道を歩き始めました。