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東海典礼を長男廣次と共に築き上げた社長植木保博の葬祭業歴40年の歩みを、法人設立10周年を機会にふり返ってみることにしました。

昭和10年 12月23日 名古屋市西区にて出生(出生届は昭和11年1月1日)

昭和23年 名古屋市立田代小学校卒業

昭和26年 名古屋市立城山中学校卒業

昭和26年 4月父親の仕事(建築業)に従事

昭和37年 昭和区川名本町加藤葬儀社に入社

平成元年 1月兄慎二郎氏と東海葬儀設立

平成4年 3月東海典礼株式会社、設立代表取締役社長に就任

現在に至る

父親は西区で「えびす湯」の名称で、風呂屋(銭湯)を経営、また、風呂屋専門の建築業元請として、営業いたしておりました。配水管の工事、建築、籐製品の製作などにも携わりました。

思えば当時憶えた技術が今日の祭壇作りに生かされていることは間違いありません。昭和30年代〜40年代にかけて風呂屋としての経営が全国的に思わしくなく、衰退の一途をたどりました。世はまさに大規模な団地の建設が日本住宅公団により千葉県稲毛団地に出現入居開始とあいまってキッチン・バス・トイレ付として、世の羨望を集め全国で団地建設のブームの幕開けも風呂屋としての存在がなくなった一因であると思います。26歳の時に妻(敏子)を娶り、長女、長男、(廣次現専務)が生まれました。結婚当初は生活が苦しくて、大きな声では言えませんが同年配の方なら記憶にあると思いますが、「白タク」といって(免許なしのタクシー)で街を流したこともありましたし、今思えば冷や汗ものです。